大判例

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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)1297号 判決

控訴人

遠藤正則

右訴訟代理人弁護士

土居千之价

福長惇

被控訴人

杉山昇

右訴訟代理人弁護士

藤井瀧夫

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠の提出、援用、認否は、原判決事実摘示及び当審における本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する(ただし、原判決書二枚目裏一一行目中「更正施設」を「更生施設」に改める。)。

理由

一昭和五四年八月一五日午前五時三〇分ころ、静岡県三島市安久四〇七番地所在の被控訴人所有の木造二階建納屋(床面積・一階一〇五・三平方メートル、二階四一・四平方メートル)で火災が発生したことは、当事者間に争いがない。〈証拠〉によると、右火災により右納屋が全焼したほか、隣接の土蔵の一部等に延焼し、午前六時三五分ころ鎮火したこと、出火場所は、納屋の南側下屋入口付近の物置に使用していた区画であると推定されたことが認められる。

二被控訴人は、本件火災は訴外康高の放火によるものであると主張するので、以下検討する。

1  右主張に符合する証拠として、康高の供述の録音を反訳した乙第一号証の一、二(成立に争いがない。)がある(被控訴人提出の甲第一三号証もほぼ同内容であるが、右乙号証の方が内容が正確であるとみられ、その成立を被控訴人も争つていないので、以下、右康高の供述については右乙号証の記載によることとする。)。

右乙第一号証の一、二によると、康高は、数件の放火をしたことを認めており、その中には、本件火災と覚しきものも含まれていることが認められる。

〈証拠〉及び右乙第一号証の一、二の記載によると、康高は、昭和三二年一月一日生れで、中度精神薄弱者(IQ三九)であり、昭和四九年六月一日から昭和五六年六月三〇日まで静岡県三島市字エビノ木四七四五番地所在の精神薄弱者の更生施設である社会福祉法人函翠会見晴寮に入所していたが(康高の生年月日及び同人が精神薄弱者であり、昭和四九年六月一日右見晴寮に入所したことは、当事者間に争いがない。)、昭和五六年二月ごろ、同寮において、寮長室に忍び込んでテレビジョンを持ち出し、あるいは施錠した同室にガラス窓を割つて侵入等する者があつたため、調査したところ、康高がその事実を認めた上、放火したことをも自供したので、同年二月二八日、寮長の杉山一郎が庶務担当の職員である山本正夫を立ち会わせて、康高から事情を聴取し、これをテープに録音したこと、右テープ録取による事情聴取に当たつては、主として杉山が質問を発し山本がこれを補充し、康高が答えるという形で行われたが、テープ録音前に本件火災についてはおおよその事実聴取が行われ、聴取者において、事前に供述内容を把握していたこと(この事実は乙第一号証の一、二に記載された応答内容からも十分認められる。)もあつてか、乙第一号証の一、二にあらわれたかぎりにおいて、極端な強制、威迫又は不当な誘導にわたることもなく、康高はおおむね任意に供述したことが認められる。

ところで、〈証拠〉によると、被控訴人方の家屋が所在する三島市安久地区において、昭和五三年一月から昭和五四年八月にかけて、次のとおり合計四件の原因不明の火災が発生したことが認められる。

(一)  昭和五三年一月四日

午後四時四〇分ころ、安久四一一番地において納屋八七平方メートルを全焼する。

(二)  同年八月一二日

午後三時三〇分ころ、安久四三四番地の五において野積枯草を焼く。

(三)  同年八月一六日

午後一時五七分ころ、安久三八五番地の二において廃車両三台を全焼する。

(四)  昭和五四年八月一五日

本件火災

そして、〈証拠〉によると、康高は、毎年、盆の八月中旬と暮正月等には帰省を許されて控訴人方に帰宅しており、昭和五四年八月一一日から同月二六日までの間についても同様であつたことが認められるところ、右(一)ないし(四)の火災はいずれもこれらの時期に該当することが明らかである。

そこで、これを個別にみると、まず、原審における控訴人本人尋問の結果によると、右の(一)は、控訴人方の物置の火災であることが認められるところ、前掲乙第一号証の一によると、康高は自分の家に放火したことがあると述べているので、それが右の(一)に当たる可能性を否定できない。ただし、その時刻については、同人は、当初夜であつたと述べ、後に昼間であつたと訂正していて、明確でない。

次に、右乙号証によると、康高は、畑に古い車のいつぱいあつた所に放火したと述べており、それが右の(三)に当たる可能性は否定できない。ただし、その時刻については、同人は夕方であつたと述べており、右(三)の午後一時五七分ころとは異なる。

更に、右乙号証によると、康高は、自分の家には三回放火したが、一回目は暑いときの昼間で、畑を通つて自分の家の山に行き、木に放火したと述べているが、これに該当する火災は甲第二号証には記載されておらず、また、前記(二)の火災については、原審における控訴人本人尋問の結果によると、控訴人が該当地番の住人に尋ねたところではこのような火災はなかつたというのであり、この点は明確にし得ない。

ところで、右乙号証によると、康高は、寒い時に、自分の家から近い所にある知つている家ないし親戚の家で、人がいない古い家に放火したことがあると述べている。そして、原審証人杉山一郎及び佐々木勉の各証言によると、康高は、前記杉山一郎らから事情聴取を受けた後、警察官に伴われて放火現場を指示して回つたが、その際、康高は被控訴人方に行き、本件火災のあつた場所を指示したことが認められる。これらの事実によると、康高が本件納屋に放火した可能性を否定することはできないものということができる。

2  しかし、原審における控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人方と控訴人方とは親戚関係にないことが認められるから、康高の述べる放火対象家屋と本件納屋とは一致しないことになる。また、前認定の事実によると、康高に対する事情聴取が行われたのは昭和五六年二月二八日であり、そのころには、康高は被控訴人方で本件火災が発生したことを知つていたと推測されるから、同人が警察官に対し被控訴人方の本件火災現場を指示したことをもつて、直ちに自らの放火の事実を認めたものとは断定し難い。反面、右事情聴取は本件火災発生の約一年半後に行われたことが明らかであり、その間に、本件火災が康高の放火によるものであることの裏付けとなるような客観的な証拠資料が収集されたことを認めるに足りる証拠はない。

しかも、康高は、前記のように中度精神薄弱者であるから、その供述の正確性及び信憑性については問題があるといわなければならない。特に、前掲第一号証の一、二によると、康高は、本件納屋への放火の事実を父や母に知られて怒られたと述べているが、原審における控訴人及び第一審被告遠藤むつ江各本人尋問の結果によると、そのような事実はなかつたというのであり、供述の食い違いが存する。また、右乙号証によると、康高は、ほかに祖母も康高の右放火の事実を知つていると述べているが、右控訴人本人尋問の結果によると、康高の祖母に当たる控訴人の母遠藤よしは昭和五三年八月一九日に死亡したことが認められ、右は本件火災発生の前であることが明らかであるから、この点については康高は正確な事実を述べていないことになる。そのほか、右の各本人尋問の結果によると、微細な点において康高の供述には事実と相違するところがあることが認められる。そして、康高に対する事情聴取が、前記のように寮長室にガラス窓を割つて侵入した行為に対する追及に端を発していることからすると、康高においてかえつて寮長に迎合し、その意を迎えるような発言ないし応答をしたということもあり得ないではない。右乙号証の記載によつても、康高が前記杉山一郎又は山本正夫の質問に対し、あまりにたやすく肯定的に応答していると見受けられる個所が、少なからず存する。このような康高の供述は、右杉山らの強制、威迫、不当な誘導等によるものではなく、任意にされたものといつてよいが、右の供述が前示のように初めての内容のものではなく、その前になされた応答のうち本件火災につき何らこれに関する質問がないのに供述がなされたことにつき疑念をさしはさまざるを得ない余地もあり、更に改めてテープにその供述が録取されるにあたり、その前になされた供述より更に迎合的な態度で臨むことあり得るところであつて、右のように迎合的なものとみられる場合には、その信用性が多かれ少なかれ損われることになるのは、避けられないところである。なお、当審証人佐々木忠の証言によると、康高には迎合的な応答をする性向があつたことが認められる。

3  本件火災が発生した昭和五四年八月一五日午前五時三〇分ころの康高の所在及び行動については、同人の父である控訴人及び母である第一審被告遠藤むつ江の原審における、また、妹である証人遠藤千鶴の当審における、次のような供述がある。

すなわち、康高は、当時見晴寮から盆のための帰省を許されて、静岡県三島市安久四一一番の控訴人方自宅において家族と起居を共にしていたが、その間早朝から起床してカセットテープ・レコーダーにより音楽を聴いていることが多く、当日も、午前五時三〇分ごろ起床し一階の茶の間でテープの音楽を聴いていた。控訴人は康高と一緒に起床して同室していたが、康高が外出することはなかつた。午前六時ごろ、近所の人の騒ぐ声で控訴人は火災に気がつき、消火作業を手伝うため、五、六〇メートル離れた被控訴人方の本件納屋の方へ走つて行つた。

康高の母のむつ江は、台所にいて人の騒ぐ声で火災に気がついたが、その時康高は父と一緒に一階の茶の間でカセットテープの音楽を聴いていた。それ以前に康高が外出したことはない。

康高の妹の千鶴は、二階の自室で寝ていたが、カセットテープの音楽で目がさめたところ、火事を告げる人の声が聞こえ、障子が赤くなつていたので、火災が起こつていることを知り、階下に降りて行つたところ、康高が父と一緒に茶の間にいるのを見た。そして、消火の手伝いに出かける両親から、兄を見ているようにと言われて、康高と祖父と一緒に家に残つた。

右のとおり、康高の家族は、本件火災の発生時ころには康高が自宅にいた旨を供述しており、これによれば、康高が本件納屋に放火した可能性は薄いことになる。

もつとも、康高が、家族が起床する前にひそかに外出し、本件納屋に放火した上帰宅し、そ知らぬ顔をしてテープの音楽を聴いていたということの可能性も考えられないではない。前掲乙第一号証の一によると、康高は、知つている家に放火したとき、家に戻つて燃えるのを見たと述べており、また、放火したときには家に戻つてカセットテープをかけていたとも述べている。しかし、右のような可能性を肯定するための裏づけとなる証拠は、右乙号証における康高の供述のほかにはなく、右供述は前記のように正確性及び信憑性において問題があるものであるから、結局、右の可能性は十分な根拠のない推測というほかない。

また、康高の家族の右供述については、肉親という立場上、康高の不利になる事実を隠蔽して同人をかばうということはあり得ることであるが、いずれの供述も、特に構えて嘘言を弄しているとはみられない。

なお、原審における控訴人本人尋問の結果によると、本件火災後、本件納屋の南側約三メートルの所に焚火をした跡が発見されたが、控訴人はそれが前日に焚火をした跡であると聞いたことが認められ、また原審における第一審被告遠藤むつ江本人尋問の結果によると、むつ江は、本件火災が発生した前後のころ、中学生三人が稲むらで煙草を吸い稲むらがくすぶつていたことがあると他から聞いたことがあることを認めることができる。これらの事実によると、本件火災が康高による放火以外の原因で生じたことの可能性を否定し去ることはできない。

4  以上みたところによると、康高が本件納屋に放火したとの被控訴人の主張事実については、これを支持し得る証拠としては、前掲乙第一号証の一、二及び前認定の康高が本件火災現場を放火場所として指示したとの事実しか存しないところ、右乙号証に記載された康高の供述には、前説示のように全面的には信を措き難いところがあり、また、右現場における指示の事実も直ちに被控訴人の右主張事実を認めるに足るものといえないことは、さきにみたとおりである。一方、本件火災発生当時康高が自宅にいたことをうかがわせる家族の供述も存し、また、他の原因による本件火災発生の可能性も指摘し得るところである。

そうすると、被控訴人の右主張事実は、結局、これを認めるに足りる証拠がないものというべきである。

三右の次第であるから、被控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がなく、棄却を免れない。原判決中被控訴人の請求を認容した部分は相当でないからこれを取り消すべきであり、本件控訴は理由がある。

よつて、原判決中控訴人敗訴部分を取り消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官舘 忠彦 裁判官新村正人 裁判官赤塚信雄)

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